カツセマサヒコ、品田遊、ジョイマン高木、夏生さえり、比之葉ラプソディ。5人の作家・クリエイターが、同じ3枚の履歴書から妄想を膨らませて、それぞれの物語を綴る「履歴小説」。
第1話のお題は、世田谷区在住、浅野真悟(21)の履歴書。
書き手は、謎の新人作家、比之葉ラプソディでお送りします。
比之葉ラプソディ 第1話「真悟は激怒した」
真悟は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の祐介を除かなければならぬと決意した。
と、太宰治ならこんなふうに物語を始めただろうが、残念ながらフラワーアレンジメントに興じる文化系の真悟にはメロスほどの体力もなかったし、そもそも走ってどうにかなる問題ではなかった。
*
すべては高円寺の楽器屋に立ち寄ったことから始まった。
15歳の頃からヴァイオリンを弾き続けてきた真悟は、とあるカフェで偶然聴いたクラプトンの『ティアーズ・イン・ヘヴン』に魅せられ、ギターも弾けるようになりたいと思うようになった。ところが、辞書で「シャイ」と引けば、
「〔形動〕内気であるさま。浅野真悟のこと。」
と書いてあるほどにシャイな彼は、バイトすらしたことがなく、ひとりではスタバにも入れず、ましてギターの置いてあるような楽器屋に行くだなんてもってのほかだった。だから、ルームシェアしている同じ名字の幼馴染、浅野祐介を引き連れて高円寺へとやってきたのだ。
「ギターって高いんだな!ま、真悟は毎月5000兆円くらいお小遣いもらってるからなんてことないだろうけど」
「そんなにはもらってないよ」
やんちゃで冗談ばかりの祐介とは対照的に、真悟は生真面目な性格の持ち主で、ふたりはいわば磁石のS極とN極、といったところだった。
たとえば祐介の趣味は女遊びだった。マッチングアプリを駆使してはさまざまな女性と遊び、出会った数はざっと数えても100人以上。それにひきかえ、真悟は恋すら知らなかった。女性を前にすると、メデューサを直視してしまった人間かのごとく、体が硬直して動かなくなってしまうのだ。ときどき街なかで見知らぬ女性に話しかけられることもあったが、そそくさと逃げる真悟であった。
そんなふたりは、真逆だからこそお互いを求めあい、尊重しあい、いつでもそばにいた。
「ところでおい、あの店員さんめちゃくちゃカワイイぞ」
そう言いながら祐介が指差す先には、トイプードルとオードリー・ヘップバーンとシャボン玉を足して3で割らないような女の子がいた。ショートボブの可愛らしい髪型に、クリッとしながらどこかミステリアスな目、透き通った白い肌。男であれば誰もが惚れてしまうであろう容姿をしていた。
「ちょっと話しかけてみようぜ」
「いやいいよ…」
尻込む真悟には目もくれず、祐介が店員の元へと歩き出す。
「すいませーん!クラシックギターを探してるんですけど、初心者にもオススメのやつとかってあります?」
「うーん、そうですね。それならあちらにあるアントニオ・サンチェスなんかがいいかもしれません」
優しげな声と、ほのかに香る柔軟剤の甘やかな匂いに、ふたりはすっかりギターのことなど考えられなくなっていた。祐介が続ける。
「ちなみに店員さん、名前は何て言うんですか?」
「わたしですか?わたしは、真実の鈴と書いて、真鈴と言います」
そう言いながら、真鈴は祐介ではなく、真悟のことを見つめて微笑んだ。まずい、このままでは体が動かなくなってしまう…真悟は自分の置かれている状況が怖くなった。
そして次の瞬間、無言で楽器屋を飛び出した。その顔は熟れたトマトのように真っ赤になっていた。これが、真悟にとっての初恋だった。胸の奥から湧き上がってくる甘酸っぱい感覚に、気がおかしくなりそうになる。
「おい真悟!どこ行くんだよ!」
唖然とする祐介を無視して、真悟は猛スピードで高円寺の街を走り抜けた。セリヌンティウスのために走ったメロスよりも遥かに速いスピードで。恋はときどき、人をおかしくさせる。
*
それから2週間の月日が経った。同じ家に住んでいる真悟と祐介は、毎日のように真鈴の話ばかりした。
「僕、あの楽器屋でバイトしようと思うんだ。どう思う?」
「ずいぶん積極的だな!向こうはビックリすると思うけど、まあいいんじゃない?」
「実はもう履歴書も書いてあるんだ」
「気が早いな、めずらしい」
「ああ…いつかG線上のアリアを弾いて聴かせたいよ…」
真悟の決意はダイヤモンドのように固かった。けれど、炭素の結晶であるダイヤモンドは、燃えると空気に溶けて消えてしまう。そして、もう間もなく、彼を怒りで燃え上がらせる事件が起きようとしていた。
それは、真悟が自宅で目覚めたある朝のことだった。部屋の隅に見慣れない袋が置いてある。どうやら隣の部屋の祐介が間違えて置いていったものらしい。いけないとはわかっていたが、好奇心の強い真悟は中身を覗かずにはいられなかった。
なかにはオシャレなキーケースと1枚の手紙が入っていた。誰かが祐介に贈ったプレゼントだろう。またマッチングアプリでいい子でも見つけたか。真悟はさらなる興味を示し、つい手紙に書いてある文字に目をやってしまった。そこにはこう書いてあった。
「祐介君、誕生日おめでとう。キーケース、気に入ってくれたかな?まだ出会ったばかりだけど、祐介君のことが大好きです。これからも末長くよろしくね。真鈴より」
え、え、え?なんなんだコレは?末長くよろしく?どういう意味?どうしてどうしてどうしてどうして?え、え、え、え、え、どういうこと?
真悟は、胸の奥から湧き上がってくるドス黒いものに、気がおかしくなりそうになる。その顔は、腐ったトマトのように邪悪な赤黒さで染まっていた。
この日以来、真悟は祐介の前から姿を消した。炭素の結晶はもうどこにも形を残していなかった。まるで空気に溶けてしまったかのように、どこにも。
*
「真鈴、今度G線上のアリアを聴かせてあげるよ」
「わーい!祐介君のヴァイオリン、楽しみだなあ」
「あ、そうそう。俺、フラワーアレンジメントが趣味でさ、これつくってきたんだけど、よかったら受け取ってよ」
「すっごく綺麗!ありがとう、大好き!」
高円寺にある公園のベンチに座りながら、ふたりはくちづけを交わす。沈みゆく夕陽があたりを美しく照らし、ロマンチックな雰囲気を醸し出している。
「そういえば祐介君、初めて楽器屋さんに来たとき、わたしの名前聞いてくれたよね?あれ、嬉しかったよ」
「真実の鈴と書いて、真鈴。いい名前だと思ったよ」
「ありがとう。でも、すぐ飛び出して行っちゃったよね」
「あ、ああ…そんなこともあったな…急に恥ずかしくなってさ…」
祐介は、何かをごまかすように頭をかいて宙を見つめた。そして、彼の本来の人格である「真悟」を消し去り、その体と真鈴を独り占めすることに成功した喜びを静かに噛み締めた。
「真悟よ、俺を殴れ。力いっぱいに頬を殴れ。お前がもし俺を殴ってくれなかったら、俺はお前と抱擁する資格さえないのだ。殴れ」
微塵も思ってもいない台詞を心の中でつぶやき、ニタリと笑う。晴れやかな祐介の気持ちとは裏腹に、夕陽はすっかり沈み、あたりには暗闇だけが立ち込めていた。
著者・比之葉ラプソディ
突如文壇に現れた新鋭小説家。年齢や出身地など、詳細なプロフィールは一切不明。小説よりも小説らしいドラマチックな生活を送っていると噂されている。
第2話「……ブウウ――ンンンン……」
第3話 9月25日公開予定
著者からのコメント
おぼっちゃまで優等生、でも世間を知らない。そんな彼の初恋を描いたらどうなるだろうと思い、ストーリーを考えました。シャイな人間の中にうごめく世界と、オチの意外性をお楽しみいただけたらと思います。
【履歴小説】5人の作家が3枚の履歴書から物語を妄想してみた
カツセマサヒコ、品田遊、ジョイマン高木、夏生さえり、比之葉ラプソディ。5人の作家が、同じ3枚の履歴書から妄想を膨らませて、それぞれの物語を綴ります。